| お別れ列車・米坂線 |
| 米坂線 |
| 米沢から宇津峠を越え、荒川の流域を走り、坂町駅に至る90.7Hの線。1926年米坂東線として、米沢-今泉間、1931年米坂西線として坂町-越後下関間が開通、その後建設を進め1936年全線開通し、米坂線となる。 宇津峠の難所を9600型の咆哮がこだまし、風光明媚な荒川沿いを軽快なリズムで疾駆し、1972年3月14日の最後まで客貨車ともにキュウロクが活躍していた。 15日完全無煙化。 |
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| お別れ列車の日 |
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1972年3月13,14日にお別れ列車が重連で運転された。13日は猫の目のように変わる天気で、重連の前の列車は雪が降り、返しの重連は吹雪の中での撮影となった。 手ノ子側での重連前の列車で、左が峠を降りてくる米沢機関区所属の79606、右が突然雪が降り出した時の59661の写真 |
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| お別れ列車・宇津峠手ノ子側 |
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| 重連が峠にその勇姿を現す、と同時に一陣の風で煙が横に流れる。カーブにさしかかる時には持ち直すものの、後ろの客車は煙のベールの中、カーブを曲がりながら、お別れ列車は我々の前を力強いドラフトと共に走り去っていった。 |
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| 後追い |
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| 走り去って行く重連に最後の後追い写真、爆煙を残しながらトンネルへと向かって行った。撮り終え、見送る人達の姿。 |
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| お別れ列車・宇津峠羽前沼沢側 |
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| 返しは沼沢からの峠へ向かうカーブで狙う、雪がひどくなり吹雪状態に「涙雪」・・・その中を二度と帰らぬ旅路へと走り去っていった。 |
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| 9634 |
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| お別れ列車を務めたのが米坂線で唯一四桁ナンバーだった米沢機関区所属の9634。磨き込まれたナンバープレートと銘板が反射光で眩しかった。 |
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